大判例

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岡山地方裁判所 昭和37年(ヨ)262号 判決

債権者 則武真一 外四名

債務者 株式会社山陽新聞社

主文

債務者は、債権者等をいずれもその従業員として取扱い、債権者萩原に対し昭和三八年七月二日以降毎月別紙賃金表合計欄記載の金員を翌月一〇日限り、その他の債権者等に対し昭和三七年一一月一三日以降毎月同表合計欄記載の各金員を、うち同表基準内賃金欄記載分については毎月二八日限り、同表基準外賃金欄記載分については翌月一〇日限り、それぞれ支払わなければならない。

訴訟費用は債務者の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者の求める裁判

一、債権者等は主文同旨の判決を求め、

二、債務者は「債権者等の本件申請を却下する、訴訟費用は債権者等の負担とする。」との判決を求めた。

第二、債権者等の主張

一、1 債務者(以下会社ということもある)は、主として岡山県下において新聞その他の出版物の刊行出版を業務とする株式会社である。

2 債権者則武は昭和二八年四月、債権者神吉は昭和二六年三月、債権者西森は昭和二五年九月、債権者荻原は昭和二八年四月、債権者小野は昭和三一年一二月にそれぞれ債務者会社に入社しその従業員として勤務していたもので、またいずれも山陽新聞労働組合(以下単に組合あるいは山陽労組という)の組合員であり、かつ債権者則武は執行委員長、債権者神吉、同西森は副執行委員長、債権者萩原は書記長、債権者小野は副書記長として組合執行部の四役(いわゆる組合四役)をつとめていた。

3 なお、債権者萩原は組合の事務専従者であつたが、昭和三八年六月二三日開催の同組合第二二回定期大会の決議により専従を解かれたもので、債務者と組合との間には組合業務専従者が専従を解かれたときは当然復職するとの協定があり、同年七月一日組合から債務者に対し同債権者の専従解除を通告したので、同債権者は翌二日以降復職したものである。

二、1 債務者は、昭和三七年一一月一二日、債権者等に対し文書により解雇の意思表示をしてきた。

2 債務者が解雇の理由として示すところは、各債権者に共通で、

「昭和三七年九月五日、山陽新聞労働組合の名をもつて、岡山市内各所において一般通行人に対し、明らかに虚偽の流布宣伝し、故意に会社の名誉を傷つけ、その信用を失墜させるような内容を記載した宣伝ビラを多数配布し、よつて会社に対しその名誉を傷つけ、信用を失墜させ、その業務に著しき支障を来たさしめたもので、この行為は山陽新聞社就業規則第一〇〇条第五号第一八号に該当するものと認められる。そして、この行為は前記労働組合の名において決定し、実行せられたものであるから、貴殿は同組合執行機関に属するものとして当然その責を負うべく、貴殿に対し、前記就業規則第九九条第七号所定の懲戒処分を行なうものである。」(以上は債務者作成の懲戒処分理由書から引用。)

というのである。

三、しかしながら、本件各解雇はつぎの理由により無効である。

I  本件解雇は、労働契約の解雇承認約款に違反し、無効である。

1 債権者等は、前記のとおり、本件解雇当時山陽労組の組合四役をつとめていたものであるところ、組合と会社との間で昭和三七年二月二二日締結された労働協約には、組合四役等に関する人事についてはあらかじめ組合の承認を得なければならない旨の条項がある。

2 懲戒解雇も右覚書にいう「解雇」の一種(就業規則第六六条第七号参照)であるところ、本件解雇は、前掲処分理由書の記載からも明白なように、債権者等の組合活動を理由とするものであるから、右承認約款の対象となることは疑いの余地がない。

この点につき、債務者は、右条項附属覚書に「昇給、昇格および組合活動を理由としない解雇、賞罰、休退職」は右条項にいう「人事」にふくまれないとあるのを理由として、本件のごとき懲戒解雇については組合の承認を要しない旨主張するが、正当でない。

仮りに、懲戒解雇が「賞罰」にあたるとしても、「組合活動を理由としない」との要件は「解雇、賞罰、休退職」のすべてを限定している。けだし、このことは、「および」が「昇給、昇格」のつぎにあつて「組合活動を理由としない解雇、賞罰、休退職」を結びつけている右覚書の文理上からも、また、労協締結の際の地労委のあつせん段階では前記協約条項正文のとおりであつて会社もこれを受諾していたが、自主交渉の段階で昇給、昇格のごとく本人に何ら不利益のないものおよび業務上横領のごとく組合活動と関係のない非行による不利益扱い等は承認の対象から除外すべきだということで覚書作成にいたつた経過からも、明らかなところである。したがつて本件懲戒解雇が組合の承認を要するものであることにかわりはない。

3 しかるに、本件解雇に関し、組合の承認のなかつたことはもちろん、労使の協議すらおこなわれなかつた。

債務者は、本件のごとく組合の承認を期待しえないことが明らかな場合には承認を得なかつたとしても協約に違反しないというが、本件においては債務者は組合に対し承認要求さえしていないのである。債務者が勝手に組合の不承認を予想して承認不要とすることはできない。それでは何のための協約かといわざるをえない。本条項は組合が長い間の犠牲をかけストライキまでしてようやく獲得した協約上の権利であり、特に組合四役の人事については通常の人事の基準の場合の「協議」と異なり「承認」を要するものとしているのであつて、債務者の主張は協約条項の意義をまつたく無にするものである。組合が反対したのは、会社が一方的に進めようとした賞罰委員会の手続上の点のみであつて、組合において右協約条項にもとづく交渉を拒否したことはなく、むしろその交渉を要求していたものである。

4 以上のとおりであり、解雇という労働条件の最重要事項について労働協約所定の手続をまつたく欠いた本件解雇は無効である。

II  本件懲戒解雇は、債権者等の正当な組合活動を理由とする不当労働行為である。

1 本件ビラまき活動は労働組合の正当な活動である。

(一) ビラ配布活動は、労働組合の教育宣伝活動の中心ともいえる重要な活動で、それには組合内部の組合員あてのものもあれば、外部の労働者・市民に共同闘争や支援を訴えるものもある。

わが国の労働組合運動が戦後ほとんど企業内組合として発足したことから、使用者の支配介入を受けやすいことは、つとに指摘されているところで、すでに総評などが企業別組合よりの脱皮をスローガンにかかげてから久しいが、一朝一夕に組識をいじることはできず、もつぱら組合活動方法の改善としてとりくまれ、産業別統一闘争とか地域共闘方式としてとりあげられているのであつて、このように企業のわくをのりこえて進む労働組合運動の中で、ビラ活動は大きな重要性をもつている。

(二) 山陽労組においても、上部団体たる新聞労連や県総評がかかげる地域共闘強化の方針にのつとつて、地域労働者との共闘や読者市民との連携をはかるため、本件ビラ以前すでに七、八回にわたつて各種のビラ配布活動をおこなつてきた。

(三) 本件ビラは、山陽労組が、新聞労働者の使命(それは職業利益といつてよい)の一つである真実の報道を守るために、読者市民に訴え、同時に職場の権利を守るたたかいに対する支援を求めたものである。

すなわち、労働条件の維持向上とともに「真実の報道」を守ることは新聞労連の一貫した運動方針であり、組合もこの方針の下に、本件ビラの時点では、独占奉仕の政策として多くの労働者が反対している百万都市問題について反対の態度を表明するとともに、この件に関する報道の偏向を指摘し、あわせて、会社内で労働者の権利の守られていない状態では真実の報道も十分におこなわれえないことを読者市民に訴え支援を求めたのであつた。

ここで百万都市に反対することは、一般的政治的問題として自由である以上に、その反労働者性のゆえに反対するという意味において、労働組合の正当な活動の範囲に属することがらである(このことは後にも述べる)。また、真実の報道を守るということは、報道産業労働者として当然のことであり、そのことにより、読者大衆の支持をかちとり労働者の地位向上に資するもので、これも正当な組合活動である。職場の権利問題についてはいうまでもない。

(四) もちろん、企業別組合からの脱皮といい、地域共闘の前進といい、いずれも長期の努力によつて進められるもので、ビラ配布がただちに目に見える形で効果を生むとは限らないが、そのゆえに正当性がせばめられるという性質のものではない。

(五) また、ビラ配布の方法、文言等の問題についても、組合活動の実態論から正当性が判断されなければならないのであつて、本件ビラ配布はこの面においても正当な活動である。

2 会社は、このような正当な組合活動に対して、ビラの片言隻句に文句をつけ、債権者等を懲戒解雇したが、これは、別紙「会社の不当労働行為の実情」に詳述するように従来から組合を嫌悪しその弱体化を意図してきた会社が、口実をそこにもうけたものにほかならない。

仮りに、本件ビラの内容に一部多少の表現の強さがあるとしても、それは、組合に対して度重なる不当な介入をおこない組合を窮地に追いやらんとした債務者としてこれを受忍すべきであり、また一般的に、弱体な企業内組合が、強大な権力をもつ使用者に対して要求実現のため宣伝活動をおこなう場合当然許容されるべきものである。

3 それにもかかわらず、債権者等組合四役を一挙に懲戒解雇に付し組合指導部の一掃をねらつたのであつて、不当労働行為にほかならない。

III  本件の就業規則第一〇〇条による解雇は、労働協約所定の解雇基準をこえ、無効である。

1 就業規則第一〇〇条は、「従業員が次の各号の一に該当する場合は懲戒する」と規定するのみで、懲戒の種類程度については同第九九条の「懲戒はその程度により説諭、譴責、減給、出勤停止、停職、諭旨退職及び懲戒解雇の七種類とする」との規定にゆだねている。すなわち就業規則には、従業員の地位に最も重要な関係をもつ懲戒解雇の基準の定めがなく、あげて会社の恣意にゆだねる危険性を有し、法律上その効力に疑問が存する。

ここでは右の論は一応おいても、労働協約所定の懲戒解雇の基準が右就業規則に優先し、これに一定の限定を与えている。

すなわち、昭和三一年四月一日締結の労働協約(昭和三七年二月二二日の団体交渉で新労働協約が成立した結果一部削除等されたので以下便宜旧労協という)第二八条(同条は現在も有効である)は懲戒事由をつぎのとおり限定している。

「懲戒解雇の基準は左のとおりとする。但し情状により解雇しないことがある。

一、氏名経歴を詐りその他作為を用いて採用されたもの。

二、会社の許可を受けないで他の事業体の業務に従事したもの。

三、故意又は重大な過失により会社の機密をもらし又はもらさんとした事が明白なもの。

四、故意又は重大な過失により会社に損害を与え又は業務に著しき支障を来たさしめたもの。

五、この協約第九章に規定する苦情の仲裁に服しないもの。

六、法令により有罪の判決を受けたもの。」

しかるところ、前記就業規則第一〇〇条第五号の規定する事由(会社の名誉または信用を著しく失墜させること)は、これに優先する右旧労協第二八条の規定にふくまれていないから、懲戒解雇事由とはなりえない。

2 本件解雇は就業規則第一〇〇条第五号と同条第一八号をあわせ適用したもので、その一方の事由を欠く以上、全体としても無効といわなければならない。

3 しかも、債権者等には旧労協第二八条該当の事実は存しないので、本件解雇は無効である。

IV 本件解雇は、就業規則該当事実を誤認し、もしくは、就業規則の適用を誤つたもので、無効である。

1  本件ビラ配布の趣旨

本件ビラの目的は、当時岡山県知事の提唱により強こうに進められていた岡山県南広域都市(いわゆる百万都市)一月大合併に組合として反対するとともに、会社が、読者へのサービス低下を意に介せず、職場では就業規則の改悪等、よりよい紙面作成の条件を失わしめつつ、百万都市推進に狂奔している事実を訴えることによつて職場内の諸要求と読者、市民層の諸要求とを結びつけて闘いを展開しようとしたものであり、これは「新聞を国民のものに」とのスローガンの下に結集した新聞労連傘下各労働者の組合運動として、国民に対する「真実の報道」を守ろうとする運動の一環であり、山陽労組の「新聞の反動化に反対し、真実の報道をかちとるたたかい、職場活動を基礎に地域共闘と結びつけ、新聞労働者と他の読者大衆との共闘をすすめる」という運動方針にもとづく行動であつた。

本件ビラは、その見出しに「真実の報道を要求しよう」とあるとおり、山陽新聞の紙面の偏向を批判しその是正方の要求を主目的の一つとしている。

山陽新聞の百万都市問題における偏向性は万人の認めるところである。偏向性の有無は紙面の個々の文字よりも全体として判断されねばならない。県当局や賛成者の意見および動きには大きな紙面をさきながら、全県下的にまた関係市町村住民の間でもりあがり展開された強力な反対意見、反対運動についてはほとんどとりあげないか小さくとりあつかつてきた。とくに昭和三七年七月以降反対運動が一層活発化し、岡山・倉敷市長等要職者の反対意見も表明されたが、これらの報道は不当に小さくとりあつかわれた。

会社は、百万都市の報道をキャンペインとしておこなつたものであるというが、新聞のキャンペインにもおのずから限界が存するのであつて、(イ)大衆の知る権利を損わないこと、(ロ)大衆の意見が分れているような問題でないこと、(ハ)権力に対する批判を遠慮するようなものでないことの三つの要件が必要とされる。会社のおこなつた百万都市キャンペインは右三要件のいずれもみたさないもので、自由にして中立な新聞のなすべきことではなく、ことに、岡山県最大の地方紙である山陽新聞としては、県民の意見が二分されるような重大な問題については客観的中立公正な態度で報道すべきであつた。

山陽新聞の紙面編集の方針は、多くの市民の不満を買い、「県のチョウチンをもちすぎる」「賛成意見ばかりで反対の意見や運動がどうなつているのかわからない」という批判が強く寄せられてきた。かような、状態は、会社の将来、ひいて組合の利益のためにも、危険なものであつた。

組合は、一貫して、会社に公正な報道を堅持して真実の報道をまもるよう団体交渉等を通じても再三申入れしてきたが、改められることはなかつた。

要するに、本件ビラは、会社の名誉信用を毀損することを目的としたものではなく、会社が真実の立場において報道し、名実共に「社会の公器」たる役割を果すよう訴えたもので、当時反対運動者の一部にあつた山陽新聞不買運動の提唱とくらべてもその積極性が明らかである。

2  本件ビラの内容

本件ビラの内容はすべて真実である。

(一) 見出し

「真実の報道を要求しよう」との見出しは、百万都市に関する紙面偏向の指摘とその是正、真実の報道を要求する本件ビラの基調を訴えたもので、このことは、例えば新聞労連の新聞労働者岡山アピール「新聞反動化の実情を明らかにし、真実の報道を守るために」がすでに昭和三七年四月二七日全国民に訴えているところである。

(二) 「かなづかい」「サービス低下」「紙面もいいかげんでいい」について

会社は、昭和三七年八月一七日編集局校閲部長より各部員に校閲の簡略化を指示した。校閲に際しては印刷工場の活字のさしかえの手間をはぶくためゲラにはできるだけ手を入れないようにというのである。すなわち、明白な誤植は別として、例えば数字が一五と十五とくいちがつていてもよいし、動物名がカタカナでなく平がなであつてもよく、音訓の問題でも多少当用漢字外の字でも直さないようにとの旨述べ、同部員の質問に対して「サービスの後退であることはそうだろう」と答えているのである。

これは、結局、会社が合理化、人減らしをねらつて出してきた新聞編集過程の方針変更――簡易化に基因する問題で、スタイル基準を緩和し、紙面における用字法の統一を放棄して、読んで意味さえ通じればよいというのでは、サービスの低下にほかならず、本件ビラは、かような人減らし政策の中での労働強化と紙面の水準の低下との関係の密接さを訴えたのである。

(三) 「百万都市推進の宣伝云々」について

山陽新聞が百万都市推進の記事(一方的チョウチンもちと評されるものが多い)を連日のように掲載したことは明白な事実であり、他紙とくらべてその宣伝的偏向性は顕著であつた。本件ビラが「宣伝」というのは当然の評価にすぎない。

(四) 「記者の原稿を書きなおし云々」について

百万都市反対運動が活発化し組織化されていつた昭和三七年四、五月ごろから多数その例があらわれている。

例えば、昭和三七年七月一七日付朝刊三面の倉敷市議会県南広域都市調査特別委員会小委員会の記事について、倉敷支社の記者は「県の提唱には消極的意見の方が多かつた」と送稿したのに、記事にはこれが削られ、「一部委員から……とする(県案と異なつた趣旨)意見も出た」と、県案反対が一二人中七人の多数であるのにあたかも一部の意見のように書きなおされた。

本件ビラの「白を黒」の表現は、事実自体の相違それの構成によるところの印象の相違ないし偏向性の指摘等に一般に使われている形容で、当時多くの市民が山陽新聞に対して抱いていた感じなのである。

(五) 「三木県政の広報紙」について

会社は、三木岡山県知事の天下り式一月合併案を積極的に支持し、その一方的推進のために宣伝を続けていた(山陽新聞は県案より先に開発キャンペインを始めたものではあるが、県案発表後は独自案をやめ県案一方の報道につとめていた)。したがつてビラのように表現してすこしもさしつかえない。ビラは、右表現の直前にあるように、「読者や地域の皆さんの利益よりも水島進出をねらう独占資本の利益を優先させる」現在の資本の利潤追求の本質をついたものである。

(六) 「記者の不当な配転」について

記者の不当配転は別紙「過去の不当労働行為の実情」に記載するとおり、つとに組合活動の活発化に対する報復的措置としておこなわれていたが、百万都市問題が進展するにつれ、山陽労組に加入している記者の不合理な配転が多くなり、またことさら百万都市関係の取材担当からはずしたりした。(組合は、再三、団交でこの不当性を追及していた。)

(七) 「ファッショ的就業規則」について

会社は、昭和三七年六月、昭和二二年制定以来維持されてきた就業規則を、何らの合理的根拠もないのに、これを変更すると称して改正案を提示してきた。そして組合とは一度も団体交渉をもつこともなくその反対を押し切つて昭和三七年八月一方的にその改悪を強行した。

この新就業規則は、従前の労働条件、労働慣行を否定し、「職場規律の強化」の名目の下に従業員の私生活に至るまで規制の手をのばす等人権無視の条項が多い。

例えば、第四四条は「従業員が会社に入退場する際その携帯品に不審の点がある場合は、その提示を求めることがある。前項の場合正当な理由なくこれを拒むことができない。」と規定し、所持品検査、身体検査を一方的判断で行ないうることとしており、会社の過去の組合に対する不当な攻撃から推してこれが組合活動の制限に向けられるようなおそれも大きく、もともと警察官にもあたえられていない権限で、基本的人権を侵害することもはなはだしいものである。

その他、第二四条ないし二六条等によつて、便所に行くにも食事に行くにも許可制、休憩時間に他の職場に入ることも禁止する等、まつたく刑務所、兵営にひとしい状態といえるであろう。

懲戒規定も著しく拡大され、その基準についても前述したようにその“量刑”は会社の恣意にかかつている。(これらについての組合の反対を無視しての一方的変更は、労働契約の内容の一方的改悪として無効との説もある。ここでは直接懲戒事項の無効を主張するものではないが一応指摘しておく。)

要するに、新就業規則は憲法で保障された基本的人権を認めず、従業員の権利を奪い、組合活動を禁止または制限するもので、ファッショ的就業規則としか評しようがなく、過去において不当労働行為をつみ重ねてきた会社が、これをフルに運用するならば、まさしく刑務所的労務管理となるであろう。

3  本件ビラ配布は「著しく会社の名誉、信用を毀損し、業務に著しき支障を来たした」ものではない。

前記1のとおりの趣旨目的に出で、前記2のような意味内容の本件ビラ配布は、いちがいに会社の名誉信用を毀損したということはできない。ことに業務に著しき支障を来たしたということはない。

本件ビラの影響で新聞の購読中止が出たということはない。多少の購読中止があつたとしても、それは、本件ビラ以前に山陽新聞の偏向した報道、評論に不満を抱いて読者が自らやめたことであるし、昭和三七年秋以降のそれは、一一月の新聞代値上も関係しているのである。(この値上以来、山陽新聞のような朝夕刊セット紙の減少、朝刊単独紙の増加の傾向が全国的に見られた。)

組合は紙面偏向の是正を要求し読者にもそれを訴えたもので購読中止、不買を呼びかけたものでない。

4  仮りに、本件ビラが会社の名誉信用に多少の影響ありとしても、前記のごとき正当な組合活動である以上、また新聞の公共性にかんがみ、会社はこれを忍受すべきであり、就業規則を適用することは誤りである。(会社の施設権を理由に組合活動を制限する就業規則を作つても、休憩時間中、勤務時間外のそれまで禁止することはできない。)

5  また、本件ビラの趣旨は前記のとおりであつて、客観的にもその趣旨が表現されているのであるが、仮りにその表現の一部にやや措辞適切を欠く点があるとしても、その意とするところは十分読みとれるのであつて、これをもつて就業規則の懲戒事由に該当するということはできない。

とくに就業規則では、懲戒の種類の選択について裁量となつているが、その裁量は厳格でなければならないのであつて、懲戒解雇は相当でない。

6  いずれにしても、本件懲戒解雇は就業規則の解釈適用を誤つたもので、無効である。

四、以上の次第で、本件懲戒解雇は無効であるから、債権者等は依然会社の従業員たる地位を保有し、会社に対し賃金請求権を有するものであり、その賃金月額およびその支払日はそれぞれ別紙賃金表のとおりである。

五、債権者等は近く解雇無効等の本訴を提起すべく準備中であるが、いずれも賃金のみをもつて自己および家族の生計の基礎としていたもので、他にとりたてて財産もないので、本案判決の確定を待つては、経済的に困窮し回復しがたい有形無形の損害をこうむることが明らかである。よつて、本件申請に及んだ。

第三、債務者の主張

一、債権者主張第一項1、2は認める。同3の中、債権者萩原が組合の専従者であつたこと、組合専従者が専従を解かれたときは会社はその復職を認める旨の協約があること、組合から債権者等主張の日に債権者萩原の専従解除の通知を受取つたことは認めるが、専従解除の事実自体は知らず、同債権者に対する解雇の意思表示が効力を生じていた以上復職の効力を生ずる余地はない。

同第二項ならびに第四項中債権者等の解雇当時の賃金月額およびその各支払日はいずれも認める。同第五項は争う。

二、債権者等主張第三項は争う。

本件懲戒解雇は正当である。

I  本件解雇の手続は労働協約の人事条項に違反するものではない。

1 会社、組合間の労働協約に、組合四役等に関する人事についてあらかじめ組合の承認を経る旨の条項が存することは認める。

2 しかし、

(一) ここにいう人事は、人事異動(配転)の意味である。

労働協約に「組合役員の人事」として特に右条項を設けたのは、協約締結の際、組合四役、執行委員、青婦部長等の異動について組合の強い要望があつたことによる。

地労委のあつせん過程においてもこの点が強く主張され、地労委は組合の要求する組合役員の異動について、「組合四役、執行委員に関する人事はあらかじめ組合の承認を得ること」というあつせん案を示したが、このあつせん案にいう「人事」は明らかに異動の意味である(不正確な用法かも知れないが慣用語として使用したものである)。

その後、労使の自主的交渉の過程で、人事条項中の基本的条項である「会社は雇入れ、異動、解雇、休退職、賞罰、昇給、昇格等その他一切の人事権を有する」との規定と対比し、前記「組合役員の人事」が異動以外の昇給、昇格、解雇、賞罰、休退職をふくまないことを明確にする趣旨で、会社より特に主張して組合の了解を得、附属覚書にその旨を定めたのである。もし、この「人事」という語が人事一切を含む趣旨でのあつせん案であつたとするならば、組合がかような大きな除外を認めるはずはない。

(二) 覚書には、「この条にいう人事とは、昇給、昇格および組合活動を理由としない解雇、賞罰、休退職はふくまない」と定められているが、ここに「組合活動を理由としない」との限定は、正当な組合活動をしたものがこれを理由として解雇されることのないような保障を設けてほしいとの組合の要求により特に「解雇」についてのみ冠せられたもので、「賞罰、休退職」にかかるものではない。(もしそうでなければ、「賞罰」のうち賞については無条件にこれを除外するような配慮がなされたであろうし、組合活動の如何によつて不利益を生ずるおそれのない「退職」についても同じことがいえる。)そして、懲戒解雇が右覚書にいう「賞罰」にあたるから、右覚書によつて当然除外される(むしろ当初より「人事」に含まれない)ものである。

(三) かりに、右「組合活動を理由としない」との限定が賞罰にかかり、もしくは、懲戒解雇も覚書にいう「解雇」にあたるとしても、本件懲戒解雇は組合活動を理由とするものではない。すくなくとも、正当な組合活動を理由とするものではない。(「組合活動を理由としない」との限定は、正当な組合活動によつて解雇されることはないという趣旨で規定したもので、組合活動という以上「正当な」組合活動を意味するは当然のこととして「正当な」の語を削除したのである。)

(四) 以上いずれにしても、本件懲戒解雇は、これについて組合の承認を要するものではない。

3 仮りに、本件解雇があらかじめ組合の承認を要するものだとしても、本件解雇を決定するにあたり、会社は、これを会社の賞罰委員会に付議して事案の調査をなさしめ、同委員会は、その規定にのつとり、多数の関係人から事情をきき詳細な調査をするとともに、債権者等に対して、釈明の機会をあたえ事情を聴取するため、出頭を求めたが、債権者等はいずれもこれを拒否し、さらに組合から組合機関の決定により出頭要求に応じない旨通告してきた。賞罰委員会よりの要請ある場合、これに出頭して釈明弁解をなしまた事情を述べることは、債権者等の利益のためにも当然なさるべきであつたのに、組合はその決定として一切これに応ずることを拒否したものであつて、これは組合として承認を拒否する態度を示したものというべきである。

たとえ本件解雇について組合の承認を要するものとしても、本件のごとく承認を求める以前すでに組合の承認を期待しえないことが明らかな場合においては、これを得ないで解雇したとしても、協約に違反するものとはいえない。かかる事情があつてもなおかつ承認を得ずしては解雇しえないとすることは、不条理もはなはだしく、協約についてこのような不条理な解釈は許されるべきでない。

II  本件解雇は不当労働行為ではない。

1 本件解雇は、債権者等の組合活動を理由とするものではなく、不当労働行為ではない。

2 債権者の本件ビラ作成配布の行為が就業規則の懲戒事由に該当するものであるゆえをもつて行なつたもので、この点が解雇の決定的理由である。不当労働行為の意思はすこしもない。

もし、会社にかねて債権者等排除の意思があつたならば、本件ビラ配布前昭和三七年七月二三日に行なわれた本件ビラ同種のビラ配布は好個の口実だつたはずである。しかるに、会社はこれに対しては厳重抗議を申入れるにとどめて組合の反省を期待したのであり、月余を出ずして再度しかも前に数倍する害意をふくむ本件ビラが配布されるに及び、はじめて、本件懲戒処分を決意するにいたつたものである。

本件を不当労働行為と断ずべき根拠はまつたくない。

3 債権者等主張の別紙「会社の不当労働行為の実情」に対しては、別紙「“会社の不当労働行為の実情”に対する認否および主張」のとおり反論する。

III  本件解雇は、労働協約の懲戒解雇基準に違反しない。

1 就業規則第一〇〇条第五号、第一八号による懲戒解雇は何ら労働協約第二八条に違反するものではない。

2 債権者等は、会社の就業規則第一〇〇条には懲戒解雇の基準が定められていないので法律上その効力に疑問がある旨主張するが、就業規則が同第一〇〇条の懲戒の基準に準拠して当該違反行為の性質、態様、結果、時期等諸般の事情を総合的に検討のうえその程度に応じ同第九九条所定の七種類の懲戒のうち相当な制裁を選択して科する趣旨であることは、懲戒の本質に照らし明らかなところであつて、これをもつて「あげて会社の恣意にゆだねる危険性」ありとする債権者等の主張には根拠がない。かような就業規則の規定は、世上多く類例の存するところであり、もとより無効ではない。

3 就業規則第一〇〇条は懲戒の事由を列挙しているのに対し、労協第二八条は懲戒の一である懲戒解雇につきその基準を例示しているにすぎず、両者は相矛盾するものではない。

4 就業規則第一〇〇条第五号および同第一八号のうち、後者は労協第二八条第四号と同一内容であり、前者もその態様によつて労協同条第三号、四号、六号にあたり、いずれも労協の定める基準に合致するものである。

仮りに就業規則第一〇〇条第五号はしからずとしても、同第一八号が労協の基準にふくまれている以上、一方の適用が不当であるからといつて、本件解雇がただちに無効となるいわれはない。

5 のみならず、本件債権者等のビラ配布行為は、労協第二八条第四号に該当し、協約上も懲戒解雇を相当とするのであるから、本件解雇は何ら労協の懲戒解雇基準に違反するものではない。

IV  債権者等の本件ビラ配布行為は、就業規則所定の懲戒事由に該当する。

1 本件ビラ(疎乙一号証)は、

(一) 見出しに「“真実の報道”を要求しよう」と標記したうえ、

(二) 「山陽新聞の経営者は少々かなづかいがおかしくてもほつておけといつています」「読者へのサービスが低下してもいたしかたないというのです」「紙面もいいかげんでいいと経営者がいうのも……」

(三) 「百万都市推進の宣伝をくる日もくる日も気狂いのように続けています」

(四) 「記者の書いた原稿をかきなおし、白を黒にしたウソの報道をしたり、百万都市や一月大合併への皆さんの疑問や反対の声を正しく伝えることをこばんでいます」

(五) 「独占本位の三木県政のご用をうけたまわる広報紙になりさがつている」

(六) 「いま社内では良心的な記者が不当な配転を押しつけられたり……」

(七) 「山陽新聞を兵営や刑務所のようにしようとするファッショ的な就業規則」

等と虚偽虚構ないし歪曲誇張の記載をならべ、故意に会社の名誉を傷つけ信用を失墜させるような内容のものである。

2 以下、右の諸点について本件ビラの内容が事実に反することを明らかにする。

(一)の点について

見出しに前記のような記載をかかげることは、一見して会社が故意に真実に反する報道をしているかのごとき印象を読む者に強くあたえるが、これについては何の根拠もない。

(二)の点について

会社経営者が本件ビラ記載のようなことをいつたことはなく、これは昭和三七年八月一七日会社編集局校閲部会における校閲部長吉井木正大の校閲基準緩和についての指示説明を曲解誇張したものにすぎない。

右校閲部長の指示説明は、(1)共同通信社の漢テレ原稿は小ゲラだけを校閲、不審の点はモニター原稿にあたる。(2)本社の原稿についてはスタイル基準の緩和、完全原稿、完全文選が必要だが、一挙にやれないから、少しでもこの線にそつて能率をあげる、との二点を指示するとともに、その方法として、スタイル基準を緩和する(例えば十三を一三に統一しない)、しかしかなづかいの誤用は直すべきで、音訓、送りがなも従来どおり実施する、誤字誤植の防止につとめることなどを説明強調したものであり、「かなづかいがおかしくてもほつておけ」といつたことはない。

もちろん、「読者へのサービスが低下してもいたしかたない」とか「紙面もいいかげんでいい」というような無責任な発言を会社経営者がなした事実はない。前記スタイル基準の緩和にしても、一言でいえば山陽新聞独自の用語スタイルを共同通信社のそれにそろえることであつて、決して紙面の粗悪をきたすものではなく、かえつて文選における誤字誤植の防止、機械化能率の向上にも役立つているのである。

(三)の点について

会社は、昭和三五年五月三〇日の紙上にはじめて「百万都市」運動推進の社告を掲載して以来、一貫してキャンペインをおこなつてきたことは事実である。

しかし、右社告にも記したとおり、岡山、倉敷を中心とする「地方基幹都市としての立地条件をそなえているブロック経済圏のセンターに人口百万以上の大都市をつくり、都市の実力を備えることは、これからの地方発展に大きな方向であり」、超党派的目標であると考え、これを提唱したものであり、特定党派の立場に立つた特殊的な利益を追求する意図はまつたくなかつたし、現在もそうである。

キャンペインは、新聞が、社会の進歩と開発を促進するため、報道と論評その他新聞のもつ全機能を動員して実施するもので、その立場上できるだけ超党派的な国民的立場からの発言を本旨とするが、必要とあれば、政治性を帯びることもあえて回避すべきではない。また、キャンペインは、一定の方向に読者の心を向け世論を導くものであるから、当然主観性を排除するわけにはいかない。一定の編集方針にしたがい記事の取捨選択をするのは、どんな場合にもおこなわれることで、記事を曲げたりうそを書いたりすることにはならない。

会社としては、百万都市問題に関する賛否の動きを地元紙の立場で公正忠実に報道してきたもので、百万都市推進キャンペインのための評論、解説その他の企画記事等にも何ら失当な点はなかつた。

国土開発、広域都市造成等に関するプレスキャンペインは、全国各地域において主要新聞社がこれをとりあげ推進している。とくに最近の毎日新聞西部本社等の北九州五市合併促進キャンペインは、その業績を高く評価され、昭和三七年度における新聞協会賞を受けた。会社のおこなつた百万都市キャンペインは、右北九州合併促進キャンペインと比較しても、決してプレスキヤンペインの限界をこえたものではなく、本件ビラの表現は悪意のある中傷、誹謗というほかない。

(四)の点について

「記者の書いた原稿を書きなおし白を黒にしたウソの報道をした」というような事実はない。

債権者等のあげる倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会小委員会に関する昭和三七年七月一七日付山陽新聞記事(乙一四号証の一)が、取材にあたつた倉敷支社の吉沢記者の原稿を債権者等主張のように書きなおしたものであることは事実であるが、それは、政治部デスク(編集局政治部長二宮欣也)がその原稿を読んだところ内容が要領を得なかつたうえ、同デスクが他から入手していた情報や吉沢記者自身の書いた雑観記事(市政メモ)の内容ともそごする点があつたので、調査の結果、右小委員会において四市三市の合併論を明示して意見を述べた委員は一二名中の二名であつたことを確認したうえ、「一部委員から」と訂正したのであり、その表現こそ正確だつたのである。

債権者は、百万都市問題についての反対意見や反対運動に関する記事はボツにされるなど差別的取扱いを受けたと主張するが、新聞社における記事編集方法として記者の原稿を責任者においてその軽重により適宜取捨削減等して掲載するのは当然のことである。しかし問題に対する賛否によつて、原稿に差別をつけたなどという事実はない。

(五)の点について

山陽新聞は、三木県政とは何のかかわりもなく、いい意味でも悪い意味でも、その広報紙といわれるような状態になつたことはない。会社は、社会の進歩発展に役立つ正しい方向であればその方向へ世論を導くよう編集をおこない評論を展開するが、独立的な新聞の立場をまもり党派的なつながりをもたないのである。

(六)の点について

百万都市問題の編集方針を強要するために記者の不当配転をおこなつたというような事実はない。

会社の人事異動の方針はつねに適材適所主義にのつとつておこなわれる。昭和三七年七、八月の人事異動も、右根本方針とあわせて(イ)FM放送開設準備体制確立のための電波関係部門の充実(ロ)同一支社局に六年以上勤務しているものの配転による気風の刷新(ハ)本社・支社局間の取材陣の記者能力の均一化(ニ)完全原稿作成のための事前校閲実施体制の確立をはかり、あわせて新人記者の校閲における再教育をおこなう等の諸方針にもとづき、これを実施したものであり、山陽労組員をことさら差別したなどということはいいがかりもはなはだしい。同年八月の約一カ月間に配転をおこなつた二一名中山陽労組員は一〇名でありとくに多いということはない。

(七)の点について

会社が昭和三七年八月、就業規則の改定をおこなつたのは事実であるが、百万都市問題とは無関係である。

当時の就業規則は昭和二二年制定以来さしたる改定はなされず十数年を経て実情に合わない点も多くなつたので、労働協約も大幅に改正された時期に、労働協約や当時おこなわれていた就業上の慣行を参考にして実情に合致するよう改正したものであつて、労働条件等については労働協約や慣行を尊重しこれを成文化した点が多く、特段の変更はなかつた。また、その内容において世間一般の就業規則と異なるところはなく、債権者等の指摘する各条項は、朝日、毎日、大阪読売等各新聞社の就業規則にも同種の規定があり、決して特異なものではない。

債権者等はかような規定を曲解して「一分遅刻しても文書で理由を書け」といわれるような規定であるとし、かかる非常識な設例をもつて兵営、刑務所的労務管理と宣伝するものであつて一事実を歪曲した中傷にほかならない。

3 以上のように、本件ビラは虚偽の記載もしくは歪曲した表現により会社を中傷誹謗するものであり、その内容においてとうてい正当なものと認めがたく、それは報道の真実と主張の公正を生命とする新聞社の名誉信用をはなはだしく損ずるものであつた。

債権者等は、岡山駅前等市内要所の十数ケ所で最も通行人の多い出勤時をねらつて本件ビラ約二万枚を一般市民に配布したものであつて、その結果会社の名誉、信用は著しく毀損され、これによる新聞販売面や従業員、販売店等に対する影響は深刻なものがあり、会社は多大の損害をこうむり業務は著しく阻害された。

なお、本件ビラ配布の就業規則違反の有無、程度を論ずるにあたり見のがせないのは、本件ビラ配布の目的が百万都市反対運動のための政治的意図に出たもので、純粋な意味の組合活動ではなく、かような政治的目的達成のために会社の名誉信用を傷つけた点、ならびに組合は、本件ビラ以前(昭和三七年七月二二日)にも同様のビラを撒布したので会社から厳重抗議しておいたのに、無反省にもさらに悪質な本件ビラを配布するにいたつた事実等である。

4 本件ビラの作成配布については、山陽労組中央委員会、執行委員会で決定され、教宣部長福武彦三作成の原稿を執行部で検討、債権者等組合四役においてこれを確認のうえ印刷配布を決定し、配布の実行にあたつても債権者等が組合員を指揮しまた自らもその配布にたずさわつたものであり、債権者等が組合四役として責任を負うべきは当然である。

5 就業規則第一〇〇条には「従業員が次の各号の一に該当する場合は懲戒する」としてその第五号に「会社の名誉または信用を著しく失墜させたとき」第一八号に「故意または重大な過失により会社に損害を与え、または業務に著しき支障を来たさしめたとき」との規定があるところ、債権者等の本件ビラ配布の行為は右規定に該当することはいうまでもなく、しかもその違反の程度に照らし、懲戒解雇が相当である。

三、以上いずれの点をとつても、本件解雇は有効であり、その無効を前提とする債権者等の本件申請は却下さるべきである。

第四、疎明資料〈省略〉

理由

一、債務者が債権者等主張の業務を営む株式会社であること、債権者等がそれぞれその主張の時期に債務者会社に入社し、いずれも山陽労組の組合員であり、その執行部においてそれぞれその主張のとおり組合四役(正副執行委員長、正副書記長)の地位を占めていたこと、債務者が昭和三七年一一月一二日債権者主張の理由によつて債権者等を懲戒解雇したことは、当事者間に争いがない。

二、債権者等は、本件各懲戒解雇は無効であるとしてその理由を数個主張する。

三  1 先ず本件解雇手続の点について検討することとする。

2 組合と会社間の労働協約に、組合四役に関する人事はあらかじめ組合の承認を得るものとする。との条項、その覚書に、人事には昇給昇格および組合活動を理由としない解雇賞罰休退職は含まない、との条項があることは当事者間に争いがない。

3 本件ビラ配付は組合の名でなされたものであり、その内容に就業規則の改定反対等の主張もあることは当事者間に争いないので、組合活動を理由とするものであることは明白である。

4 従つて会社は債権者等の懲戒解雇については組合の承認を得なければならないところ、会社が組合の承認を得ていないことは当事者間に争いがない。

5 この点につき債務者は覚書成立の経緯から賞罰については承認が不要である(即ち覚書の組合活動を理由としないは解雇のみにかかるもので賞罰にはかからない。)と主張するが、右覚書を文理に反してそう解釈しなければならないまでの事情は認められない。

6 更に債務者は右覚書にいう組合活動とは正当な組合活動のみを指すと主張するが、正当な組合活動を理由とする処分は労働組合法の禁ずるところであり、組合活動の当否につき労使間に見解の相違があり、又不当な組合活動にしてもその処分については労使間で協議することも有意義なことで、債務者の主張は採用しがたい。

7 債務者は本件懲戒解雇については組合の承認が期待し得ないのでその手続を経ないでも労働協約に違反しないという。なる程会社の賞罰委員会が債権者等に出頭を求めたに対し債権者等及び組合が出頭を拒む旨回答したことは債権者等も認めるところである。

しかし成立に争いない疎甲二号証、乙六号証の二、八ないし一三号証に債権者則武本人尋問の結果を綜合すれば覚書には人事の一般的基準については組合と事前に協議すると規定してあるに対し組合役員の人事については承認を要する旨定めていること、賞罰委員会の出頭要求は本人から事情を聴取することにあること、当時組合は本件ビラ配付問題について地方労働委員会があつせんにはいつているのでその結論が出るまで賞罰委員会の審理の中止を申入れて出頭を拒んだことが認められ、本来組合役員を処分することについては労使間で相当な議論が予想され、しかも本件においては組合四役全員を懲戒解雇にするものであるから債務者としても慎重に処理すべきであり、前認定の事情下の出頭拒否のみで直ちに承認手続が不要となるものとは到底解せられない。

四  1 次に実質面についても併せ検討することとするが、問題となつている宣伝ビラ(成立に争いない疎乙一号証)を組合の名で解雇理由に掲げる通り配付したことは当事者間に争いがない。

2 右ビラを端的に見るとき、それは会社に対する真実の報道の要求と百万都市一月合併反対とがその焦点であり、その両者は合併賛成の態度をとる会社が、これに関し虚偽の報道をしていることを訴える点で結び付き、これとの関連において読者に対するサービスの低下、合併問題における県政への追随、批判的記者の不当配転、就業規則の極端な改悪の諸問題を市民読者に訴えたものである。

3 報道事業を営む会社としては真実の報道、不偏不党等はその生命であり、会社の従業員から組織されている組合によつてこれを欠いているとのビラを配付されることは会社の名誉信用を著しくおとし業務に著しい支障をきたすであろうことが十分推認できるところである。債権者等はこれを争つているが、右推認を覆えすだけの疎明はない。

4 しかしながら新聞倫理綱領(成立に争いない疎甲六三号証)によるまでもなく、報道事業を営むものは他の企業と比するときその社会的使命は一段と重大であり他の何ものにも拘束されることなく報道批判するとともに、自らも他から十分な批判を受けそれに堪えるものでなければならない。

一方労働組合も自己の目的を達成するため宣伝ビラを作成配付して組合員はいうまでもなく一般大衆に対し争議時平時を通じて啓蒙宣伝をすることは自由でその内容が労使間の問題に制限される理由はない。

従つて組合が会社の方針を批判することにより会社が不利益を受けるような場合もそれが真実に合致している場合は正当な批判として就業規則違反の責は生じないものというべきである。

5 そこで本件ビラの内容が真実に合致するものであるか否かに及ぶ訳であるが、この点についてビラの内容がその根本においては真実に合致する場合であつても、その表現が著しく妥当でないときは配付を受けた者に真実を伝えず、或いは誤解を招き配付者の責任問題の生ずる余地がある。本件ビラは前記の通り平常時街頭で一般大衆に配付されたものであるからその表現の点についても慎重に検討さるべきである。

6 会社が百万都市運動推進を掲げて強力に所謂キャンペインを行なつていたことは当事者間に争いがなく、岡山県労働組合総評議会がこれに反対し、組合もこれに批判的であつた(この点は証人鬼丸弘行の証言によつて認められる。)

組合が右態度を表明し、これに従つて大衆に訴えることが自由なことはいうまでもない。

この点に関連して会社の報道の真否の具体例として倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会小委員会に関する昭和三七年七月一七日付山陽新聞記事(これが成立に争いない疎乙一四号証の一であることは当事者間に争いがない。)についてみることとする。

右記事が会社倉敷支社の吉沢利忠記者の原稿を債権者主張のように訂正したことは当事者間に争いがなくその結果は吉沢記者の県案に消極的な意見が多かつたとの原稿趣旨が正反対の表現に改められたものとみられる。そして証人吉沢利忠、藤川昌巳の各証言によれば右小委員会の結論は吉沢記者の原稿の趣旨に合致していたと認められるので、百万都市に対する会社組合の態度が前記の通り対立している本件においては、組合が右会社の訂正を意識的なものと解して非難するのは当然のことである。

そうすると本件ビラの二焦点については根本においては問題とすべき点はないこととなる。

7 そこで前記附随的事項について触れることとする。

昭和三七年八月一七日会社校閲部長吉井木正夫が校閲基準緩和についての指示説明をしたこと、同年七、八月会社に人事異動のあつたこと、同年八月就業規則の改定があつたことは当事者間に争いがなく、右基準緩和について特段の必要性の疎明のない本件にあつてはそれが一種のサービス低下となるとの見解もあり得るところであり、又就業規則改訂については新旧の就業規則(各成立に争いない疎乙六号証の一及び甲八六号証がそれである。)を比較するとき服務規定の新設等従業員に対する取締の強化が認められるので組合としてこれを就業規則の改悪として攻撃することも無理からぬものというべきであるが前記人事が記者の不当配転であるとの点はその疎明十分でない。

会社の合併問題に対する態度については有識者の中にも県案を疑問を抱くことなく無批判に押進めるものとする人があり(証人室井力の証言による。)組合のこの点に関する見解はその一であつて誤解と極め付けることもできない。

8 次に本件ビラの表現及び全体の調子についてみる。

右ビラには会社が百万都市推進の宣伝を気狂いのように続け、白を黒としたウソの報道をし、真実公正な報道をすべき新聞として自殺行為をしていること、独占本位の三木県政の広報紙になり下つていること、会社を兵営や刑務所のようにしようとするフアツシヨ的就業規則は新聞反動化をねらう職場の政暴法であること等激しい攻撃的表現で終始し、会社の方針態度は全面的に報道機関として採るべきものではなく、これがすべて百万都市合併賛成に結びついているかの如き感を配付を受けた者に感じさせるもので行過ぎの感を免れない。

9 以上を綜合するとき本件ビラの内容が全的に真実に合致し、正当なものであるとは認めがたいので、この文案を作成するに関与し或いはその配付に直接関与指導したと認められる(この点は証人石丸豊〔第一回〕の証言及び債権者則武本人尋問の結果による。)債権者等の行為は就業規則の懲戒事由である会社の名誉信用を著しくおとし業務に著しい支障をきたした場合(疎乙六号証の一の第一〇〇条第五号及び第一八号)に一応該当するものといわねばならない。

10 しかし就業規則第九九条第一項には懲戒の方法として軽い説諭から重い懲戒解雇まで七種類があり前記行為についてはそのいずれで処置するかの定めがないのであるから会社にその裁量権があるとはいうもののその裁量には自ら限度があるものというべきでそれが著しく不当なときは許されないものと解する。

本件行為についてみるとき本件ビラはその根本において必ずしも虚偽或いは不当といえず、その付随的事項及び表現において問責される点があるにすぎぬこと、その内容に関連して会社側の行為についても批判を受くべき点があること等前記認定の諸般の事情を綜合するとき本件解雇は著しく裁量の範囲を越えたものといわなければならない。

五、以上の次第で本件懲戒解雇は手続面、実質面のいずれからみても瑕疵があり無効なものと断ずべきである。

六、したがつて、債権者等は、債務者の従業員としての地位をなお保有し、依然賃金請求権を有するものというべきである。(債権者萩原が本件解雇当時組合の専従者として休職中であつたことは同債権者の自認するところであるが、債権者則武本人尋問の結果と弁論の全趣旨によればその主張の日に専従の職務を解かれたことが一応認定できるところ、専従者が職務を退いたときは会社は復職を認める旨の協約が存すること、債務者は昭和三八年七月一日同債権者の専従解除の通知を受取つたことは、当事者間に争いがないから、同債権者はおそくもその主張する同月二日には復職し債務者から給与を受ける地位を回復したものと認められる。)そして、債権者等の解雇当時の賃金月額(債権者萩原については平均賃金)およびその各支払日が別紙賃金表記載のとおりであつたことは、当事者間に争いがない。

七、債権者等はいずれも労働者であるから、本案判決の確定まで被解雇者として取扱われ賃金の支払いを受けられないときは、生活上の困窮等により著しい損害をこうむるであろうことが推察され、他に右推定をくつがえし仮処分の必要性を否定するに足る事実を認むべき資料はない。

よつて、債権者等の従業員としての地位を保全し、債務者に対し従業員としての取扱いと賃金の支払いを命ずる仮処分の必要があり、債権者等の本件仮処分申請は理由があるので、保証を立てさせないでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 辻川利正 矢代利則 福長惇)

(別紙)

賃金表

債権者名

基準内賃金

(支払日毎月二八日)

基準外賃金

(支払日翌月一〇日)

合計額

(1) 則武信一

二七、八五〇(円)

七、七五四(円)

三五、六〇四(円)

(2) 神吉秀哉

二六、四二〇

一九五

二六、六一五

(3) 西森正春

二六、八〇七

五、一七八

三一、九八五

(4) 萩原嗣郎

三五、一二四

(5) 小野克正

二五、八九〇

二五、八九〇

(別紙一)

会社の不当労働行為の実情

債権者等が所属し執行部を形成している山陽労組が現在組合の自主性を保持し組合らしい組合として存在するのは、債権者等の長期間にわたる努力の結果であり、本件解雇は、債務者が、会社に迎合しない組合を壊滅すべくその中心的組織者である債権者等を本件ビラ撒きに名をかりて解雇したものである。すなわち、以下に述べるように、会社の労働者の労働組合運動は、劣悪な労働条件と無権利状態を改善しようとする切実かつ当然の要求から出発し、債権者等青年労働者を中心とするねばり強い闘いにより、会社の激しい組織干渉を一つ一つ乗り越えて発展してきたものであるが、一方、会社は、この運動に対し当初は無遠慮な露骨な形で、後には間接的な巧妙な手段で不当な干渉、攻撃を続け、かずかずの不当労働行為をつみかさねてきた。本件解雇はその一端のあらわれに外ならない。

第一、昭和三〇年迄の無気力な組合の時代の低劣な労働条件と従業員の目覚め

一、従業員組合の実情

昭和二五年頃、占領軍の実力を背景に日本全土を襲つたレッドパージが、全国の新聞労働者の組織である全新聞を壊滅せしめて以来会社の従業員は山陽新聞従業員組合に統合せられていた。同組合は主体的な活動をすべき能力を欠き、昭和三〇年一月二九日付組合機関紙に当時の執行委員長藤原義章が発表しているように「山陽新聞の組合結成以来幾年月を経たが経済闘争らしいことをしたことがない。要求をしても一たん会社からけられた場合何ができるだろう。執行委員等がゾロゾロ役員室を訪れて懇願に努める以外に手がうてない」状態であり、組合の会社に対する要求書は時候の挨拶から長々と礼をつくすといつた調子で、要求に行なつた組合委員が社長に馬鹿野郎と怒鳴られたりする始末であつた。上部団体である新聞労連が昭和二九年に総評加盟につき票決した際、賛成票一八六票、反対票七票であつたが反対票の内六票が山陽新聞従業員組合代議員の投じた票であつた。対会社関係でも、組合委員長が会社の要職に横すべりすることが慣例化していた。昭和三〇年頃までの従業員組合の実情は以上のとおりで、労働組合の主要な役割である組合員の労働条件の改善について全く意欲を欠き、無気力感が支配していた。

二、従業員の劣悪な労働条件

組合の右の姿勢を反映して、従業員は劣悪な労働条件に苦しんでいた。賃金水準は県下他企業および同規模他社に比して著しく低く、女子の深夜労働および時間外協定なき超過勤務など労基法違反行為が公然(使用者はこれを合法的と理解していた)と行なわれ、従業員の解雇も簡単になされ、職場では会社の前近代的労働政策が幅をきかしていた。過労で倒れる従業員が続き、健康を守る要求が切実な声となつていた。従業員は低賃金をはじめとする低い労働条件に苦しんでいた。

三、組合強化のための建設的活動の開始

この様な無権利状態の中で、目覚めた青年労働者達は、休日や深夜集る等して、事態改善のための意欲的な活動を開始していた。そして、これら若い労働者の活動は、従業員の間で徐々に影響力をもち始め、従業員組合の大会においても、一定の発言権を確保する様に成長していつた。そして昭和三〇年中になされた「山陽新聞従業員組合」から現名称への変更、組合事務所の確保、サークル活動の拡大等という形で具体的な成果があらわれた。債権者等は、当時活動していた青年労働者の中で中心的存在であつた。

第二、会社にあやつられる組合から組合らしい組合への努力の時代

一、この期間の労働組合と従業員の実情

(一) 昭和三一年から昭和三三年にかけての三年間の年月は、組合が会社の介入に耐えながら、ねばり強く組合員の意識を高め組織を強化し、労働組合の自主性を確立すべく努力した期間であつた。

(二) 組合意識に目覚めた若い組合員達は、着実に組合作りの努力をすすめ、この真面目な意欲に対する支持は、これら組合員を執行機関に送りこんだ。昭和三一年五月開催された第一五回定期大会では、ボス交渉により執行部に立候補した者は不信任せられ、若い組合員の中から副執行委員長福武彦三が選任せられた。

昭和三二年五月の組合第一六回定期大会においては、副委員長(矢吹住夫)執行委員(債権者萩原、福武彦三)、中央委員(債権者神吉、同則武他一名)に組織強化に努力している若い組合員が多数選出され、超勤手当増額、ベースアップ、結婚退社制度の撤回等を要求し、夏期一時金について基準内賃金二カ月分要求というかつてない大幅な要求を提出したり、ベースアップについて地労委に斡旋を申請するなど従来にない意欲的な活動をした。

昭和三三年度の組合執行部へも若い意欲的な労働者が多数加わり(債権者萩原は執行委員、同則武、神吉は中央委員)組合は夏期一時金要求につき地労委に斡旋を申請するなど労働条件改善のため努力した。

(三) 以上のような努力の半面、まだ組合の力は弱くて会社の介入を完全にはばむことはできず、従業員の労働条件も昭和三三年春生活苦から二名の自殺者を出す悲劇を生んだ様に、容易に改善することはできなかつた。

二、債務者の不当労働行為

(一) この期間の会社の支配介入の特徴は、組合がまだ弱体であるため、組合の内側から組合に支配力を行使した(例えば組合大会での戦術を会社が指揮するなど直接的な介入)ことであり、その形式も露骨であつた。したがつて、この期間の不当労働行為は、後に会社が行なうようになつた巧妙な遠隔操作等と異り、支配介入の姿が、きわめて明確である。

(二) 会社は、昭和三一年一月労働組合執行委員長藤原義章を本社編集局整理部から営業局販売部へ、さらに一年たたないうちに文化局事業部に配転した。当時、局外への人事移動は稀である上、整理部は比較的余裕があり組合活動に便であつたが、販売部や事業部は多忙で特に事業部は外出することの多い職務であつた。その頃、組合の教宣部長が病欠していたため組合機関紙(当時の機関紙は投書をそのまま掲載したため戦闘的だつた)を委員長が編集発行していたが、右の配転のため教宣活動を中心とする組合活動が著しく阻害せられた。

(三) 会社は昭和三一年三月積極的な組合活動家であつた土倉敬(編集局校閲部)を児島支局へ配転した。この配転により、同人は、私生活上の不利益を受けた外組合活動が完全に封殺された。

この配転を契機に若い活動家の配転が相次いだ。

(四) 昭和三一年五月組合第一五回定期大会では、執行部の選挙に際して対立候補がなく立候補者の信任投票がなされたが、ボス交渉により立候補し、組合代表としてすじを通すことのできない候補者は不信任された。執行部は役員選挙を持ち越そうとしたが否定され、その大会で選出することになつた。この時、大会場の隣の秘書課室奥にいた会社総務局長大塚利一(本件解雇の頃は労務担当常務取締役)は、営業局や総務局出身の大会代議員に対し退場を命令した。このため大会は分裂し、その結果大会は後日に延期され、妥協的人事を余儀なくされた。

このように、会社が組合大会運営について、事前に発言内容を指示したり、大会中に会場と連絡を取りながら戦術指導をとることが行なわれていたのである。

(五) 会社は、昭和三一年六月組合青年婦人部長尾原良一を就任直後本社から倉敷支社へ配転した。青年婦人部(以下青婦部と略称する)は、昭和三〇年八月に結成されて以来、組合作りの運動の中核となり活溌な組合運動を展開し、年末一時金要求で独自に会社に陳情するなどそれまでの停滞を破つていたので、会社はこれを嫌悪して配転したのである。同人は配転により不利益を受けた外組合活動を不可能にされた。なお、代々の青婦部長は次々に配転せられ、青婦部長になるには必死の覚悟を要するようになつた。

(六) 昭和三一年一一月青婦部の活動家(組合副執行委員長で第一回青婦部長だつた)である福武彦三を本社から東京支社へ配転させた。当時執行部内での、若い活動家の代表としての同人の地位は極めて重要であつたが、この配転により同人は完全に組合活動から浮いた存在となつた。同人は、昭和三一年八月発生した婦人組合員がある局長から暴行されそうになつたという事件(当時H事件と呼ばれた)について経営者の非人間的態度を追求する等活溌な組合活動を行なつていたので、会社はこれを嫌い除去するため配転を行なつたのである。

(七) 同じ月に、青婦部長吉沢利忠を、本社から倉敷支社へ配転した。この配転も右の福武彦三を配転したのと同じ理由で、青婦部の活動家に加えた攻撃である。

(八) 昭和三二年五月長らく組合中央委員をつとめ、組合活動に熱心だつた原憲正を本社から福山支社へ配転した。会社は同人の組合活動を理由に差別待遇をし、組合運動を妨害したのである。

(九) 昭和三二年五月第一六回組合定期大会において、会社の不当介入が行なわれた。この大会ではこれまで組合作りの努力を続けてきた債権者則武が委員長に、同萩原が副委員長に、狩谷琢二郎が副書記長に立候補しており当選の可能性があつた。組合の強化をおそれた会社の総務局長大塚利一(現労務担当常務取締役)は、大会前夜、営業局、総務局出身大会代議員を料亭「新松葉」に集め、大会に対する指示を与え、この指示にしたがつて右の代議員は大会をボイコットした。大会は定足数に足り議決も可能であつたが、分裂をさけるため、債権者則武等は立候補を辞退し、妥協的人事を行なつた。新委員長には三村実徳が選ばれたが、これは組合の活発化を妨げるための会社の不当な攻撃であつた。

(一〇) 組合の右の妥協的な新執行部の下でも、組織造りに熱心な若い組合員が多数執行部に加わり、前向きの姿勢もとらざるを得なかつた。組合は、会社にベースアップ等を要求して何度か団体交渉を行なつた後、昭和三二年一〇月地労委へ斡旋を申請すべくその可否を組合員の全員投票に委ねたところ、投票総数三四九票中、賛成二九四票であつたが、会社は、非組合員および職制組合員を使い、総務局、営業局所属の組合員一三八名の組合脱退届を作成せしめ、浜田喜好、村上守等をして執行部につきつけさせ、斡旋を申請しないように執行部をゆすつた。執行部は結局組合の統一を守るため斡旋申請を執行しなかつた。このように会社は労働問題の解決のための機関である地労委に斡旋申請をすることすら異端視するほど、頑迷な反組合思想にこりかたまつていた。

(一一) 昭和三三年一月児島支局勤務の土倉敬を高松支社に配転した。同人は以前からの組合活動家で、当時は支社局選出執行委員(組合には支社局の代表の執行委員が二名いる)の地位にあつた。若い従業員は、本社から支社に出されると二、三年後には本社に返されるのが慣例であり、支社から支社へ転勤する例はなかつた。この配転により、支社局選出執行委員としての、又児島での活動を制限された。

(一二) 昭和三三年五月末、組合の要求する夏季一時金交渉は、会社に誠意がなく交渉のまとまる見通しがないため、組合は地労委に斡旋を申請した。会社は斡旋開始日の六月一八日の直前、職制の集りである鯛松会に斡旋申請を取下げるよう組合に申し入れさせ、更に、村上守、浜田喜好等を使つて、営業局組合員等から組合脱退届を集め、深夜組合書記局において三村委員長に対し、斡旋申請を取下げねば脱退するとおどした。三村委員長は、分裂問題が公表されるのをおそれて秘密裡に申請を取下げた。

(一三) 昭和三三年八月二二日、会社は、同年五月の組合定期大会において執行委員長に選出されていた三村実徳を労務部次長に任命した。三村実徳は現職委員長である外、新聞労連会計監事の地位にあつた。この転任により当時労務部次長は他に一名いたので、労務部次長のポストは増加し、同時に会社は労務部次長は非組合員にすると組合に対し通告した。そして、会社はこの問題について、人事問題は団交事項に該当しないという理由で団体交渉に応じなかつた。この不当介入により、組合は執行委員長が空席になり活動を阻害された。

第三、初のスト権確立(組合の自主性を確保してゆく時代)

一、組合の状態

(一) 昭和三三年九月、組合は執行委員長の空席をうめるため臨時大会を開き、債権者則武を委員長に、矢吹住夫を副委員長に、債権者萩原等を執行委員に選出し、従来組合の組織強化に努力してきた人達が執行部の主流を占め、従来の会社の息のかかつた執行部と異なり、ここに新らしい型の執行部が成立した。新らしい執行部はベースアップの要求を掲げて「リボン斗争(要求を表示したリボンを胸につける)」などの戦術を行使しながらスト権確立の全組合員投票を行なつたところ、賛成三四八票、反対一〇四票で組合結成以来はじめてスト権確立を行なつた。ストライキは実際にはしなかつたが、地労委の斡旋により七〇〇円のベースアップを獲得し、組合員は組合活動に自信をもつようになつた。

(二) 昭和三四年二月組合員の範囲等を含む労働協約改正案を組合の中央委員会が決定し、労働協約改正の運動が始められた。又青年婦人部は同じ月に結婚退社制度を会社に撤廃させた。

同年五月には、組合大会において、債権者則武を委員長、債権者萩原を副委員長とする執行部が形成され、夏期一時金の要求や夏から冬にかけての時間外手当完全支給、支社局員の勤務地手当、出張旅費規定の改正の要求と取り組み会社の強行した時差出勤が組合活動を制限してきたのにかかわらず、一一月には右の三つの要求についてスト権確立につき組合員投票を行ない、八八パーセントの支持を得た(ストはしない)。昭和三五年も組合は引き続き若い組合の強化をおしすすめる執行部の下で着実な組織充実の努力を進め、新安保反対行動にも労働者の利益を守る立場からこれに参加した。

(三) 昭和三六年も前同様の執行部が選出された。この年は、年があらたまつて間もなく、各職場の小さな不満を改善してゆく斗いが組まれ、三月からは一律五〇〇〇円の賃上と労働協約改正を要求の中心におき、五月に地労委に、労働協約については調停の、賃上については斡旋の申請をそれぞれ行なつた。六月には、本社印刷職場休憩室で、職場員が休憩時間中職場集会を開催した時、歌を歌つたことに感情を害した職制が職場員の胸ぐらをつかんで怒鳴りつけた事件や、組合活動家に対する一斉配転に対する怒りが、組合員の間に盛り上り、その中で組合は七月一三日ストライキ通告を行ない、同月一六日から二二日にかけて部分あるいは全面ストライキを斗い、賃上三二〇〇円、配置転換撤回、労働協約はほぼ組合の要求を認めさせるという大きな成果を獲得した。

(四) 以上のように、昭和三三年終りから三六年夏にかけて、組合は、債権者等が中心となつた意欲的執行部の下で組織強化の着実な努力を続け、会社の様々な介入にかかわらず自主性のある組合に成長し、組合は、組合員の労働条件改善のために大きな力を発揮した。

二、不当労働行為の実情

(一) この昭和三三年終りから三六年夏にかけての期間に、組合の力は大きく成長し、初期の間に見られた会社の組合に対する露骨な直接的な干渉は不可能になり、会社も組合の外から対決する形となつた。だが組合の力を少しでも削減しようとする会社の不当労働行為は頻発し、特に組合がストライキに立上ろうとした時には数々の攻撃が加えられた。

(二) 昭和三五年一月、会社は、従来、部次長と呼ばれていたポストを副部長と名称変更し、新たに二〇年以上の永年勤続者に参事という肩書を与え、同時にこれら副部長、参事合計七一人を非組合員扱いにすると一方的に通告し、これらの者のチェックオフを中止した。従来これらの者は、組合規約によつても又組合員資格を定める労働協約の運用においても組合員扱いであつた(副部長は部によつては数人もおり、会社の利益代表とは限らず又参事は勤務年限のみが資格要件であるから職制とは無関係であつた)が、この会社の処置によりこれ等の者は事実上組合活動ができなくなり、組合は一挙に七一人の組合員を失つた。この事実上の非組合員化は、同年九月に、副部長参事に二〇人を昇格させたのを含めて、同年中に約一〇〇人におよび、組合の組織率は大幅に低下した。これは強く成長した組合組織の切り崩しに外ならない。

(三) 昭和三五年四月、組合活動家で青婦部長だつた土井弘高は本社から鳥取支社に配転させられた。

昭和三六年一月には、前記原憲正が本社から坂出支局に配転させられた。同人は、長い間組合の中央委員として活動し、職場の活動家の養成などに力を注ぎ、編集局校閲部の副部長になつてからも、組合の活動に参加するなど熱心な組合活動家であつたため、会社はこれを嫌悪して配転したのである。

これらの者の配転は明らかに活動家を組織から分離することに目的があつたが、いずれも配転により私生活上の不利益を招き、原憲正は家庭の事情から赴任できぬまま退職を余儀なくされた。

(四) 昭和三六年二月会社の元監査役で、会社の外廓団体である社会事業団常務理事の地位にある青木虎夫が、組合員である高田雅之に対し、毎月三〇〇〇円の報酬で共産党に入党し、組合情報を提供する様二回にわたり依頼した。会社は、従来は組合の御用幹部から情報を得て労務対策資料としていたが、組合が変質して情報源がなくなり、右の様な手段を必要とするにいたつたのである。(共産党入党というのは、組合執行部内に共産党員がいて、入党すれば情報確保に便利だと会社が判断したのである。)

なお会社の三村実徳労務部長は昭和三五年暮の鯛松会において、組合には共産党員がいる。これらを業務阻害者として処分すると勝手な発言をするなど、会社は組合に不信感をばらまくような宣伝をしていた。

(五) 昭和三六年七月組合が初のストライキに入つたころ、会社は組合の正当な権利行使を妨害するために、一斉配転等スト規制のため様々な介入を試みた。

(1) 会社の職制である広告部副部長村上守は、昭和三六年六月組合がスト権を確立する前後を通じて組合執行委員であつた債権者小野をしばしば喫茶店に誘うなどして、組合にストをさせないように強く働きかけた。

(2) 会社は、同月二三日組合活動家を狙つて、七月一日付で後記の通り一〇人の配転を通告した。当時特に配転の必要はなく、配転を受けた者の大部分は執行委員、中央委員、闘争部長(闘争中各職場に闘争部が設けられる)、六月三〇日に予定されている大会代議員等活動家であり、職場の熱心な活動家を支社局へ転出させ、盛り上つた雰囲気を排除しようという狙いであつた。なお、これらの配転はストにより全員撤回させた。

泉本哲夫 (代議員、編集外勤闘争部長)

本社から倉敷支社へ

坪井宗康 (代議員)

本社から三原支局へ

金光圭 (中央委員、代議員)

本社から大阪支社へ

吉沢利忠 (中央委員、代議員)

倉敷支社から玉島支局へ

天野朋一 (執行委員、賃金対策部長)

本社から尾道支局へ

寒竹哲生 (中央委員、代議員)

本社から高松支社へ

田中信寿 本社から倉敷支社へ

児玉徹  本社から津山支社へ

周藤道生 津山支社から久米支局へ

岩藤一三 久米支局から本社へ

(3) 同年七月、会社は長崎巖(総務局経理部)を利用して、スト反対をとなえて組合員宅等を夜間歴訪させる等し、組合分裂工作をした。

(4) 同月一四日、組合がスト通告をした翌日、会社の総務局長大塚利一は、長崎巖を使つて、組合副委員長鷹取徹に対し、長崎と鷹取の二人でスト回避のための工作をするよう依頼し、スト妨害工作をした。

なお、これより先同年六月、組合役員改選前、会社の中野秘書部長と三村労務部長は、当時の組合副委員長鷹取徹を秘書部前の応接室に呼び、再度副委員長に立候補するよう強く要求した。

(5) 同月一六日、この日から組合はストに入り、一六日は高松支社で第一波部分ストに突入した。当日会社の要請により岡山東西両署で警官二〇四人がスト介入のため待機していたが、岡山の本社ではスト行為をしなかつたので介入することはできなかつたけれども、会社の不当な意図が明らかにされた。

(6) 同月二一日、会社の職制(広告部副部長)村上守は、広告部員を岡山市新西大寺町電通岡山支局二階に集め、組合員が争議に関する組合の統制に従うのを妨害した。

(六) 以上のほか、会社は組合に対し、何かにつけて組合運動を制限しようと介入した。

(1) 昭和三四年一〇月、会社は組合に「外部からの参加者がある集会には会場を貸せない」と組合集会を制限した。以前は、上部団体等が激励に来ても異議をとなえなかつたが、当時組合はスト権をたてていたので、このような介入がなされたのである。

(2) 昭和三五年五月、安保問題が日本国民全体の間で深刻な論議を呼び、労働組合その他民主団体は反対運動に取り組んでいたが、会社総務局長大塚利一は「安保問題を討議する集会には会場を貸さない、社内で討議した場合は処分する」と組合の正当な運動を制限した。

(3) 昭和三六年四月、山陽新聞社新館落成により組合書記局は新館に移転した。会社は書記局に社外に通ずる電話をつけず、そのため社外との通話は外の電話を利用せねばならなかつた。

(4) 同年五月、新館落成記念祝賀会に際し会社は組合掲示板に貼付している一切の組合掲示物を勝手にはがした。

第四、会社の悪どい巻き返し

一、組合は昭和三〇年頃以後の着実な努力の結果、会社の激しい不当干渉にかかわらず力強く成長し、ストライキにより自己の要求を掲げて闘う組合となり、組合員の労働条件の改善を数多く実現したが、会社はこれに対し激しい反撃を策し、昭和三六年秋頃から御用組合である第二組合の育成等数々の不当労働行為を犯した。

二、会社は、このように組合内部への組織攻撃を続けると共に、工務局活版部での食事時間の短縮、深夜勤務翌日早帰り制度の白紙還元通告等、組合がストライキ前後に獲得したさまざまな職場の慣行をとり返しにかかつた。

三、会社の不当労働行為の実情

(一) 会社は、昭和三六年秋以降当時の組合副委員長鷹取徹を組合分裂のために利用しようとし、中野関二秘書部長、三村実徳労務部長らを使つて、鷹取に対し共産党に入つて組合の情報を提供するよう強要した。また長崎巖らも、鷹取に対する分裂工作の役割りを与えられ、たびたび鷹取に働きかけを行なつた。

(二) ストライキの一カ月後の八月下旬頃から、長崎巖らは、組合員の間に、執行部はアカだとかその他執行部を中傷する噂を広めていた。昭和三六年一二月から翌年一月にかけて、長崎巖、松枝達文、小野敏等は、会社の指示にしたがつて分裂工作を進め、会社は、これらの者の活動のため諸々の便宜を与えていた。

昭和三七年一月一一日、組合批判グループと称していたこれら分裂工作者は、土曜会という組織を作り、社の内外の組合員に対し発行責任者不明の文書を配布し始めた。この土曜会々報と呼ばれる文書は殆んど連日発行され、支社局員へは莫大な費用をかけて速達郵便で送付し、社内では勤務時間中でも、職制の目前でも、公然と配布された。会社は従来組合が配布する文書についてはいちいち厳重にチエックしていたが、この文書については何等制限しなかつた。

(三) このようにして、昭和三七年二月二〇日組合が全国的な春闘統一行動に参加した日、分裂派は岡山市内の美術クラブで約一〇〇人集合して第二組合を設立した(委員長高橋邦英、副委員長松枝達文、近常寧、小橋正実、片岡敬之、書記長長崎巖、副書記長板野順一)。

(四) 会社は、このように成立し組織人員も不明な第二組合と翌二一日午前九時頃から、団体交渉を始め、組合の方がまだ未締結なのに組合員の範囲についてのみ暫定的な労働協約を締結した。労働協約の組合員の範囲等については、組合はそれまでストライキ等困難な何年間もの歳月をかけて会社と交渉してきたが、会社はその間暫定的締結の意思表示をしたこともなく、又以前には前述のように会社は一方的に副部長、参事は非組合員扱いとしておきながら、第二組合が申し入れると組合員の範囲についての協約を即日締結し、副部長、参事について第二組合の組合員資格を認めた。それと同時に、森尾、武野(いずれも会社の副部長)は、秘書室横の高級な来客用の応接室に多数の副部長、参事を集め、声明を発表して一斉に第二組合へ加入した。

かように、会社は第二組合と組合より先に組合員の範囲に関する協定を結び、よつて第二組合へ職制従業員を一斉加入せしめ、第二組合の組織を拡大せしめたが、更に、時間外協定交渉につき会社は第二組合を優遇した。すなわち、五月二二日、従来の時間外協定の期間が切れ協定のない状態が発生した。組合は、同月二六日第二組合が締結していたと同じ内容の、会社の主張どおりの条件で協定を締結する旨意思表示をしたが、会社は協定締結を二日間延引させ、山陽労組の組合員のみ残業できぬ状態を作り出し山陽労組員を不安におとしいれ、組織を動揺させようとした。

(五) 会社は以上の外、第二組合の活動のために、いろいろな便宜を与え、第二組合を育成した。例えば、昭和三七年三月、第二組合の組織固めに奔走していた編集局松枝達文、小野敏等に社長乗用車の使用を許したが、従来社長乗用車は編集関係の取材の場合でも使用を許さなかつた。

又、会社には、東京等長距離用の電話専用線があり、これの通話は重役室隣のインターホンで聞こえる装置になつているが、第二組合の幹部等は組合業務にこの電話専用線を利用して遠方の支社局と連絡をとつていた。

その他第二組合員が第二組合の組織活動のためあるいは私用で長期間継続的に職場を放棄する場合、山陽労組の組合員の場合にはいちいちきびしく問題にするのに、第二組合の場合は放置する等、会社は第二組合の活動を陰に陽に援助し逆に山陽組合員に対しては制限を加えた。

(六) 又、第二組合の組織拡大については、会社の職制としての地位を利用して上司が下僚に加入を強要したり、あるいは会社が入社の保証人や親族を通じて半強迫的に第二組合に加入せしめたり、不当な方法が数限りなく利用された。

(七) (1) 会社は、昭和三六年秋頃から組合分裂の策動をしたり、第二組合の活動家であつた者を、恩賞的に昇任、昇格したのに反し、山陽労組の組合員を冷遇する等差別扱いをして第二組合を援助した。例えば、昭和三七年七月三日、印刷部山陽労組員番能重春、伊達繁夫外数名が、夕刊印刷後の休憩時間から手待時間にかけて休憩室で職場をあけたこと、西大寺産業従業員と話し合つたことを理由に譴責処分に付した。しかしながら、その集会に参加したもので七月三日当時第二組合員であつた者は処分の対象から外された。又同じ日に高橋印刷部副部長は同じ頃職場を離れ雷魚取りに夢中になつていたが処分されなかつた。

又、山陽労組員は、国体の取材等世間の耳目をひく事件の取材(記者の根性としては参加したいものである)からは排除される等、仕事の上での差別や、山陽労組の組合役員が労働協約により勤務時間中に行なう会議に参加すると職制が文句を言うのに、第二組合の場合は、積極的に代役をつとめて援助する等、職場での差別は著しい。

(2) 又例えば、七月会社の工務局職制井桁三郎が文撰課長から大組課長へ転勤した直後、課員の前で「わしが大組へ来たのは仕事のためではない。労務管理のためだ」等威迫的発言をするなど、職制が山陽労組員の部下に対し、威圧的言辞を吐き、山陽労組員を職場に居づらくする例が数多く存在する。

このように、会社は末端の職場においても、不当な差別や山陽労組員へのいやがらせを行ない、山陽労組組織の分裂を計つている。

四、以上の如く、会社は昭和三一年頃から引続いて、組合に対し不当な介入を続けている。本件解雇は、右の一連の不当労働行為の一つのあらわれであり、債権者等を解雇することにより、組合組織を弱体化しようとするものである。

第五、債権者等の組合役員歴

一、則武真一

昭和三二年度  中央委員

昭和三三年度  大会代議員、中央委員

昭和三三年九月 執行委員長、労連会計幹事

昭和三四年度  同 労連中央執行委員、中国地連委員長

昭和三五年度  同 同 同

昭和三六年度  同 同 同

昭和三七年度  同 同 同

二、神吉秀哉

昭和三〇年度 大会代議員

昭和三一年度 同

昭和三二年度 同 中央委員

昭和三三年度 同 同

昭和三四年度 同 同

昭和三五年度 執行委員、法規対策部長

昭和三六年度 同 同

昭和三七年度 副執行委員長

三、西森正春

昭和三〇年度  中央委員

昭和三一年度  大会代議員

昭和三二年度  同

昭和三三年度  同 職場委員

昭和三三年九月 同

昭和三四年度  中央委員

昭和三五年度  職場委員

昭和三六年度  中央委員

昭和三七年度  副執行委員長

四、萩原嗣郎

昭和三〇年度 大会代議員、中央委員

昭和三一年度 大会代議員

昭和三二年度 執行委員、調査部長

昭和三三年度 同 組織部長

昭和三四年度 副執行委員長

昭和三五年度 同

昭和三六年度 書記長、(専従)中国地連書記長、労連中央委員

昭和三七年度 書記長、(専従)中国地連書記長、労連中央委員

五、小野克正

昭和三三年度 青婦部役員

昭和三四年度 組合会計監事

昭和三五年度 執行委員、青婦対策部長兼文化部長

昭和三六年度 執行委員、調査部長

昭和三七年度 副書記長

なお、最高議決機関である大会は代議員により構成されておる。中央委員とは常設議決機関である中央委員会構成員である。執行委員とは執行機関構成員である。職場委員とは、各職場から選出され中央委員の諮問に応ずる委員である。青年婦人対策部長は執行部内の機関で、青年婦人部の部長とは異る。

(別紙二)

「会社の不当労働行為の実情」に対する認否および主張

一、第一記載の事実について。

1 第一項中、組合内部に関する事実は知らず、その余の事実は否認する。

2 第二項はすべて否認。債権者等は、会社の賃金水準が他企業及び他社に比して著しく低劣であつたというがむしろ、県下他企業の水準を相当上廻り、同業他社に比しても中位以上であつた。

3 第三項は不知。

二、第二記載の事実について。

1 第一項、(一)、(二)は組合内部の問題であつて不知。

同項(三)において会社の低賃金の故に二名の自殺者を出したごとく主張するのはまさに牽強附会であつて、自殺者のあつたのは事実だが、いずれも生活苦からではない。

2 第二項について。

(一) 会社には債権者等のいうような支配介入の事実はない。

(二) 藤原義章の昭和三一年一月の異動は編集局社会部勤務から営業局販売部次長へ異動昇任したものである。

債権者等は当時局外への人事異動は稀であるというが、その際の異動五二件のうち一二件が局外異動であつて決して稀なことではなく、また編集局社会部の多忙なことは周知の事実であり、他局への異動がその組合活動に従前以上の支障をきたすということはあり得ない。

(三) 債権者等は、会社が組合役員や活動家をその役員たることあるいは組合活動の故に配転をしたといい、これらは組合の弱体化を意図した不当介入であると主張するが、いずれも事実に反する。会社の人事はあくまで適材適所を原則として公正妥当に行なわれている。

とくに編集局においては、入社後一、二年の若い有能な従業員について、入社と同時に編集局の基本的業務の見習のため教育期間もかねて原則として校閲部で勤務させ、その後本人の資質、性格、家庭の事情等考慮して順次局内の他部あるいはまた支社局関係に配置してきたものであつて、組合活動家を嫌悪してなされたような事実はない。

(三)にいう土倉敬を昭和三一年四月一日児島支局へ配転したことは事実であるがこれは同年三月末退職した大西義弘の後任として異動したものであり、組合活動を理由としたものではなく、会社は同人の組合活動の事実は知らない。

(八)にいう原憲正の福山支社への配転(時期は昭和三一年六月)についても組合活動を理由に差別待遇したものではなく、組合運動を妨害したものでもない。

(二)にいう土倉敬の昭和三三年一月の高松支社への配転は会社がその頃松山支局を廃止し高松支社の編集関係業務を拡大強化し四国版の充実を図つたことに伴う編集関係者の異動によるものであつて他の意図はない。若い従業員の支社から支社への転勤は例がないという債権者等の主張はなんらの根拠もない。

(一三)にいう三村実徳の異動についても、組合執行委員長を労務部次長に任命したことは争いないが(ただし同年九月一日付)、それが重要なことであるだけに、会社は事前に組合にこれを内示し協力を求め慎重協議の上その了解を得て行なつたものであつて、会社に組合介入の意図はなかつた。

(四) その他、会社の不当労働行為として昭和三一年五月組合第一五回定期大会で総務局長大塚利一が営業局、総務局出身代議員に退場を命令した((四))、あるいは昭和三二年五月の組合第一六回大会前夜、料亭で大会に対する指示を与えた((九))と主張するが、こんなことができる筈はなく、その事実はない。

会社が非組合員や職制組合員をつかつて地労委への斡旋を申請しないよう働きかけた事実((一〇))はなく、また三村委員長が分裂問題の公表をおそれて秘密裡に申請を取り下げた((一二))というのも事実に反する。この申請取り下げについては当時の組合ニュースでも明らかなように執行委員会において決定され後に中央委員会の承認を得ていることである。

三、第三記載の事実について。

1 第一項は主として組合内部の問題であるのでとくにいうところはない。

この時期において顕著なことは、組合執行部の極左的、暴力的活動が露骨にあらわれたということである。その極端なあらわれとして、争議前より争議中にかけて、各職場における職制に対する威迫、吊し上げ(甚しい例としては職制の私宅を襲い家族を脅迫したことさえあつた)、就業時間中の組合員の坐り込み等が連日のように行なわれ、社内秩序は著しく混乱した。このような組合のやり方がその内部に批判を招き後日分裂するに至つた原因となつたことは否定できない。

2 第二項について。

(一) 昭和三五年一月部次長を副部長と改めた((二))のは、単なる名称の変更ではなく、副部長には人事考課の内申、予算編成権等の権限を与え、部長(非組合員)の代行者としての権限を付与したもので、また参事(部長待遇)については、当時組合との間に非組合員とする旨約定せられており、組合規約においても非組合員となつていた筈である。従つて、会社としては参事は勿論副部長についてもその職制より非組合員たるべきものとして、その旨組合に連絡し、チェックオフの中止についても組合にはかつて実施したものである。

部によつて数人の副部長がいることは争いないが、新聞製作の特質上勤務体制も昼夜にわかれ且つ部内の業務も多岐にわかれているため部長の職務代行者として数人の副部長を必要とする部もあるわけで、これはなにもその頃にはじまつたことではない。

(二) 土井弘高、原憲正の異動((三))についても債権者等のいうような意図はない。

土井は昭和三五年四月一日付で異動した三三人の一人であり、また原は昭和三六年二月一日付で異動した八人の一人であつて、多数の人事異動に際し組合活動家と称される者が対象となつてもやむをえない。しかも、右後者の異動では組合活動家の一人である福武彦三が東京支社より本社に帰つているのであつて、この一事よりみても組合活動への介入の意図はない。

(三) 青本虎夫の高田雅之に対する共産党入党依頼の問題((四))については、その後組合より抗議をうけてはじめて知つたことで、会社に全く関係のないことである。

(四) 昭和三六年七月のスト前後において会社はスト規制のため介入をした((五))というが、その事実はない。

(1)の副部長村上守が部員と喫茶店へ行つたことまで介入と考えるのはおかしい。会社との関係もない。

(2)の同年七月一日付一〇人の異動は全く業務上の理由によるものでなんら不合理な点はない筈である。

(3)の組合内部における長崎巖等の批判の動きがどうであつたか知らないが、会社が債権者等のいうような工作をさせたことはない。

(4)のような事実はない。

(5)の七月一六日組合がストに入つたことは間違いないが、会社が警官の待機を要請した事実はない。一般にストに対して警察はきわめて慎重であり、会社の要請により待機する等のことは考えられない。

(6)は、組合のストにより会社はスポンサー(広告主)に迷惑をかけることのないよう広告業務の連絡事務所を電通岡山支局に臨時に設けたもので、組合対策のためのものではない。

(五) (六)記載の会場使用制限の事実はあるが、会社は組合の会合については従前よりできる限り会議室の貸与などの便宜をはかつており、ただ昭和三四年ごろから労働協約等による協定に違反するような使用(たとえば、政治活動を目的とした会合、就業時間中における集会あるいは深夜にわたる会合等が度々行なわれるようになつた)がなされるようになつたので、建物管理上このような使用について協定にもとづき制限したに過ぎない。

およそ、労使の関係は対立した力関係であるといわれる(争議はそのもつとも鋭く対立した場面である。)。そうだとすれば、組合活動と会社の管理権は平常でも必ずしも協調しうるとは限らない。ときに紛議を生ずるのはやむをえない。したがつて、組合の掲示、集会(会場使用)等の問題についての会社の主張や指示をとらえていちいちこれを組合に対する圧迫とか介入とかいうのはあたらない。

四、第四記載の事実について。

1 会社が、昭和三六年秋頃から第二組合の育成等数々の不当労働行為を犯したというが、そのような事実はない。(債権者等もなんら具体的に指摘するものはない筈である)

2 第三項について

(一)の事実はない。

(二)のうち、会社が長崎巖等に対し組合分裂工作を指示したりまたこれらの者の活動に便宜を与えた事実はなく、その他の点は知らない。

(三)昭和三七年二月二〇日山陽新聞第一労働組合(以下第一労組という)が結成せられたことは事実であるが、その第一労組が結成数カ月後には過半数を占め、今日圧倒的多数をみている事実は、結成前から組合執行部に対する強い批判があつたことを物語るもので、これら組合批判者の言動を挙げて会社に帰せしめる何らの根拠もない。

(四)で問題にしている第一労組との暫定的労働協約の締結および時間外協定締結の経緯は次のとおりであり、なんら不当労働行為とか差別待遇とかいわれる理由はない。

(イ) 昭和三七年二月二一日午前八時五〇分頃第一労組の代表、長崎巖から組合の結成通知と労働協約(暫定)締結のための団体交渉の申し入れがあつた。

会社は同労組と事務打ち合わせの形で話し合いを行ない、組合の名称、役員、構成員についてたしかめた上、憲法および労働組合法に照らして団結権、団体交渉権を有する労働組合と認め、引き続き団体交渉を開いた。同労組からは組合員の範囲と試用期間の二点について暫定的に協約を締結、他の条項については山陽労組と締結されているものと同じ内容でよいとの申入れがあつた。会社はすでに山陽労組との間で、労働協約の改訂の交渉中であり、岡山県地方労働委員会の斡旋案をもとに、第一労組からの締結申し入れ部分をふくみ、かなりの条項について合意に達している段階であつたので、公平に取り扱う見地から第一労組との交渉を中止し、同年二月二一日午後三時一五分から山陽労組と団体交渉を開き、第一労組から会社への申し入れ内容を説明、協約締結の話し合いをしたが山陽労組はこれに応ぜず、交渉はまとまらなかつた。

このため、会社は、やむなく第一労組との団体交渉を再開、前記申し入れの内容につき、山陽労組と合意点に達しているものと同じものを暫定的に締結した。

このあと直ちに、山陽労組との団体交渉を再開するよう連絡したが、団体交渉委員は退社していたので、翌二二日に同労組と締結するという結果になつたものである。

以上のような経緯であつて会社は二つの組合を公平に取扱い、差別のないようにとの配慮から、つくし得る十分の手段はつくしたもので、債権者等の主張するような不当労働行為は全くない。

(ロ) また昭和三七年五月における時間外労働および休日労働に関する協定締結において、債権者等が主張するように故なく協定締結を遅らせた事実はない。

前記協定は同年五月二二日で協定期間が満了するので、五月一六日会社は両労組に対し、会社案を提示してその締結を求めた。両労組と団体交渉を何回となく繰り返えし、同月二三日第一労組と三日間の暫定協定を締結したが、一方山陽労組は会社の申し入れを拒否、協定締結を拒んだ。

ついで同月二六日第一労組との間に六日間の暫定協定を結んだが、山陽労組との間では度々の団体交渉にもかかわらず進展がなかつた。ところが同月二七日午前零時過ぎになり山陽労組は突如その態度を急変、締結を要求してきた。

会社としては前述のように同労組が協定締結を拒否したことは争議行為にあたるのではないかとの見解(昭和三二年九月九日内閣法制局発第二二号通達参照)もあり、工務局活版部における組合員の集団的無断欠勤、同局印刷部における山陽労組員の労働時間内に食い込む集会等、争議行為に類する事実もすでに確認されていたので、これらを含めて対策を検討するため、また当日がたまたま日曜日にあたり且つ前夜の徹夜で極度に疲労していたため、僅か一日程度の猶予を得たものであつて、山陽労組に対する不利益を図るために協定締結を遅延させたものではない。

(五)の、第一労組の特定の組合員に社長乗用車の使用を許し、組織固めに会社が便宜を図つたように述べている点は、事実を歪曲するも甚だしいものである。

従来といえども会社としては社長乗用車の編集関係の取材への使用を再三にわたり認めてきている。そして昭和三七年三月以降は経費節減の目的で社外のタクシー使用をできるだけ減らすため、社長乗用車(債権者等はこのように称しているが、実情は社長に限らず、役員はじめ従業員も使用していた)をはじめ高級乗用車を広く開放して業務のために使用させており、このことは従業員に周知されていた。すなわち、松枝達文、小野敏の乗用車使用は編集関係の取材で使用を認めていたものであつて、債権者等のいうようなことではない。

次に会社の長距離用専用電話については債権者等が主張するように、組合業務に使用することは禁じており、二つの組合を差別して扱つた事実はない。従つて第一労組の幹部が組合業務にこれを使用したことはない筈である。

以上の外債権者等の主張するような差別待遇をした事実はない。

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